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1: 世界@名無史さん 2015/04/02(木) 18:42:43.45 0.net
貧乏なロベスピエール君は上京するときに 
フーシェ君から旅費を貸してもらったのに、 
みたいな感じで 
恩知らずな奴を叩きましょう


続きは下記で 


















































3: 世界@名無史さん 2015/04/04(土) 02:05:53.34 0.net
スキピオ・アフリカヌス 
「恩知らずの我が祖国よ、お前は我が骨を持つことはないだろう」

大スキピオ

プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マイヨル(紀元前236年 - 紀元前183年頃)は、共和政ローマ期の軍人、政治家。元老院議員。第二次ポエニ戦争後期に活躍し、カルタゴの将軍ハンニバルをザマの戦いで破り戦争を終結させた。

救国の英雄として、その名声に並ぶ者のなかったスキピオであったが、元老院では彼の政敵カトが着実に主導権を握り始めていた。そして、輝かしかったスキピオの政治キャリアに水を差す出来事が起こる。これ以降彼は政治の舞台を去り、代わりに彼と対立してきたカトが元老院での発言力を強めていく。

晩年のスキピオはカンパニア地方のリテルヌムで過ごすようになり、2度とローマには戻らなかった。死に臨んだスキピオは先祖代々の墓に入ることを拒否し、自らの墓石に「恩知らずの我が祖国よ、お前は我が骨を持つことはないだろう」と刻ませたと言われている。


6: 世界@名無史さん 2015/04/04(土) 16:22:01.84 0.net
アレクシオス・アンゲロスのスレだな 
自分を助けてくれた兄の眼をつぶして皇帝即位 
十字軍からかくまってくれた娘婿を排除しようとトルコ人と組んで攻撃を仕掛ける

8: 世界@名無史さん 2015/04/04(土) 16:33:48.18 0.net
韓信の王位をはく奪した劉邦

9: 山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2015/04/04(土) 17:25:54.76 0.net
>>8 
韓信の言った「狡兎死して走狗烹らる」云々は微妙に文言が違いますが、元々は越王勾践に 
仕えた范レイの言葉だと言いますね。 
范レイは亡命したからよかったものの、彼が推挙した文種に剣を贈り、「残りの献策は亡き 
父のところで使って頂きたい」と伝えて自害させた勾践は恩知らずもいいところ。 

晋の恵公は領土割譲を秦に約束して即位したのに反故にした。 
これだけならまだしも、不作時に秦に食糧援助をしてもらったのに、秦が不作になったら攻 
めこんでいる。しかも返り討ちにされるという恥さらしっぷり。 

苻堅は王猛に言われた通り、恩知らずどもを粛清しておけば死なずに済んだ。 
梁の武帝は宇宙大将軍の亡命を受け入れるべきではなかった。 

功臣粛清は山ほどありますが、分かりやすい恩知らずはこの辺ですかね。

29: 世界@名無史さん 2015/04/06(月) 22:11:52.08 0.net
梁の武帝は、魏の捕虜になっていた皇族と亡命してきたはずの侯景を平然と交換しようとしているから、侯景の悪行は悪行として、彼だけを責めるのは難しいかと思う。

10: 山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2015/04/04(土) 17:30:18.91 0.net
ああ、名が体に反した朱全忠(忠を全うする)を忘れていました。兄にまで非難される忘恩ぶり。 
王承恩(恩を承る)とは偉い違いです。

朱 全忠

朱 全忠(
しゅ ぜんちゅう)は、五代後梁の初代皇帝。諱は初め温であったが黄巣の乱の際の功で唐朝より全忠の名が下賜され、さらに皇帝即位後に晃と改めた。

天祐元年(904年)1月、朱全忠は昭宗に圧力をかけて遷都を行ない、都を自分の拠点である洛陽に遷した。そして8月に昭宗を殺害し、その九男である13歳の哀帝を帝位に即け、禅譲の準備を整えた。帝位を窺う朱全忠を、長兄の全昱は「朱三よ、おまえが天子になろうとは何たることか。元をただせば黄巣の一味のおまえを引き立てて下さった天子様の恩に報いるどころか、三百年の社稷を簒うとはこの愚か者め」と罵倒した。



11: 世界@名無史さん 2015/04/04(土) 19:32:24.48 0.net
世界史に残る恩知らずと言えばフランス王フランソワ1世 

皇帝カール5世の捕虜となっても王としての丁重な扱いを受け 
かつマドリード条約を結んだのに反故にした


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フランソワ1世

フランソワ1世(1494年9月12日 - 1547年3月31日)は、ヴァロワ朝第9代のフランス王(在位:1515年 - 1547年)。フランス最初のルネサンス君主と評される。

1521年から1544年にかけては、イタリアを巡ってカール5世と争い、1525年のパヴィアの戦いでは前線で指揮を取るが、捕虜となってしまう。スペインで幽閉されていた間の1526年にカール5世とマドリード条約を結ぶが、解放されるや条約は無効と宣言し、教皇クレメンス7世もこれを支持した。



13: 山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2015/04/04(土) 23:00:15.50 0.net
>>11 
フランソワ1世へのカール5世の言葉 
「朕は泣かせても朕の姉(フランス王妃となったエレオノール)は泣かせてくれるな」 
条約を反故にしたフランソワ1世の言葉 
「強制される条件下で結んだ条約は尊重するに及ばず」 

リチャード獅子心王との会見約束を反故にしたフィリップ2世といい、本人たちからすれば 
「相手が強いんだからしょうがないだろ」かもしれませんが。

14: 世界@名無史さん 2015/04/04(土) 23:23:43.55 0.net
>>13 
条約飲んだら本気でフランス死んじゃうからしょうがないのはわかるがそれはそれ 
恩知らずは恩知らず

31: 世界@名無史さん 2015/04/08(水) 15:41:01.63 0.net
>>11 
でも、結局フランソワ1世とカール5世って和睦しなかったっけ?

32: 世界@名無史さん 2015/04/08(水) 17:43:47.29 0.net
>>31 
カンブレーの和約でイタリア戦争は終わったが 
フランソワ1世はその後オスマン帝国とカピチュレーション、 
帝国内の新教徒諸侯で構成されるシュマルカルデン同盟と手を結び 
戦争を繰り返すというバチカンの長女にあるまじき行いを繰り返した


フランソワ1世

カール5世に対抗するため、コニャック同盟で教皇、イングランド王ヘンリー8世らと結び、ドイツのプロテスタント諸侯(ルター派)を支援したり、異教徒であるオスマン帝国のスレイマン1世と秘かに結びつき、第一次ウィーン包囲をけしかけたりもしている。フランソワ1世自身はカトリックであり、檄文事件をきっかけに国内のプロテスタントを弾圧している。しかし、ローマ略奪で教皇はカール5世と和睦、他のイタリア諸国もカール5世に従属し、1529年にフランスがイタリア放棄を約束したカンブレーの和約を締結した。


35: 山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2015/04/08(水) 22:31:33.72 0.net
>>32 
いつものフランスですね。

36: 世界@名無史さん 2015/04/09(木) 02:14:16.53 0.net
>>35 
外交革命までのテンプレ行動はイタリア戦争の時に完成してるんだよなぁ 

何時見ても人非人外交

12: 世界@名無史さん 2015/04/04(土) 20:53:52.51 0.net
敵を寛容に扱ったのが裏目に出て暗殺された人間の番付 
東の横綱が苻堅なら西の横綱はカエサルかな

苻 堅

苻 堅(ふ けん)は、五胡十六国時代の前秦の第3代皇帝(大秦天王)。

漢人の王猛を重用して華北統一に成功し、前秦の全盛期を築く。中国統一を目指したが、大軍を南下させたところを淝水の戦いで大敗し、以後諸部族が反乱・自立して前秦は衰退して苻堅もかつての部下姚萇に殺害され、前秦は実質的に滅亡した。


16: 世界@名無史さん 2015/04/05(日) 06:45:39.12 0.net
「王猛に言われた通り」 
それと晋攻撃をみんな止めたってはなし 
後の展開をしっている後世の人間が創作した話っぽい 
当人たちにとってあまりに後の展開を的中させすぎ

17: 山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2015/04/05(日) 08:39:20.45 0.net
まあそれは少なからずあります。 
『信長公記』首巻みたいな「予言的中」話は実に多い。 
少なくとも東アジアでは天命なり因縁なりで勝つべき人物は勝つようになっているし、優秀な人物は 
生まれながらに優秀と描写される。人事>天命系の話もなくはないですが。 

とはいえ疑わしくても否定する材料がなければ否定は出来ず「疑わしい」と言うしかない。 
あるいは、当った話だけがことさらに記憶され、強調されたのかもしれません。 
王猛の場合、素人目にも地雷を指摘していたように見えますが。 
華北統一直後で南征するなというのも、たまたま的中というよりは穏当な意見でしょう。

2: 世界@名無史さん 2015/04/03(金) 11:46:43.82 0.net
劉備玄徳の専用スレですね。わかります。

26: 世界@名無史さん 2015/04/05(日) 23:16:47.12 0.net
義兄弟の契りとか、同月同日に死なん、とかおだてて散々働かせたのに 
自分だけ最後まで生き残っていい目をみたワルやで

27: 山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2015/04/06(月) 07:51:20.47 0.net
劉備は関羽・張飛とのつきあいが兄弟のようだったというだけで、別に史実では 
義兄弟の契りなどは結んでおりませんが。

28: 世界@名無史さん 2015/04/06(月) 07:55:21.17 0.net
そもそも恩ってのは、上が下に与えるものであってその逆じゃないだろ。 

といいつつ、袁崇煥を凌遅刑にした崇禎帝は恩知らずと思ってしまうが。

30: 世界@名無史さん 2015/04/08(水) 11:20:50.17 0.net
演義では、劉備は呂布からも恩知らず呼ばわりされているけど、 
こういう恩義がどうこういう話は、正史にはあまり出てないね。 

後世の価値観が小説や劇として追加されていったのが多いと思う。

34: 世界@名無史さん 2015/04/08(水) 21:13:20.30 0.net
新大陸へ入植したもののそこで生きるすべすら知らぬ白人を保護して 
生活の仕方を教えてやったネイティブアメリカン 
その恩へ白人がどう報いたか知らぬ者はおるまい 
人類史上最大のアダ、恩知らずのワールドレコード

37: 世界@名無史さん 2015/04/11(土) 22:46:27.84 0.net
フランスに独立を助けてもらったのに 
昨日まで敵のイギリスと仲良く通商を始めるアメリカは恩知らず。

40: 世界@名無史さん 2015/04/20(月) 11:34:54.89 0.net
>>37 
もともと流通システムがイギリスを前提していたのに、 
いきなりフランスに鞍替えが出来ない。 
ワインと砂糖以外で、(対アメリカ分のみ)イギリスからフランスに中継貿易拠点 
を動かすのは至難。

39: 世界@名無史さん 2015/04/20(月) 11:18:06.55 0.net
イスラム教の開祖ムハンマドは両親を早く亡くして孤児となったため、 
祖父のアブドアル=ムッタリブに育てられた。 
この祖父が他界すると、叔父のアブー=ターリブがムハンマドを引き取って 
息子同然に可愛がり、自らの隊商に加えて商売の修行を積ませた。 

のちにイスラム教を唱えはじめたムハンマドは、多神教である街の有力者と 
対立を深めていく。ある日ムハンマドは彼の恩人について問い質された。 
「多神教徒であった君の育ての親たちは、唯一神を奉じる君の見解では、 
死後どうなったのかね?」 
ムハンマドはこう答えた。 
「アブドアル=ムッタリブもアブー=ターリブも地獄にいる」

41: 世界@名無史さん 2015/04/20(月) 22:08:23.68 0.net
>>39 
そこで私情を入れるのもどうなんだ

42: 世界@名無史さん 2015/04/21(火) 20:00:55.61 0.net
>>41 
将来の預言者を庇護した功に報いて、 
特別に天国に入れて貰えた、という筋書きではどうだ。 
アラーは寛容にして慈悲深くあられる。

43: 世界@名無史さん 2015/04/21(火) 20:09:34.82 O.net
>>42 
イスラム開教前の人間は全員天国行き、というのがイスラムの公式見解だったはずだがな。

44: 世界@名無史さん 2015/04/21(火) 20:18:04.25 0.net
>>43 
だったらジャーヒリーヤ時代に生まれたほうが得ではないか。 
イスラムなんて無いほうが良かった。 

ということになってしまうぞ

46: 世界@名無史さん 2015/04/21(火) 23:22:22.50 O.net
>>44 
そういう突っ込みは当然ありうるんだがイスラムの公式見解では「イスラムを知らなかった者は全員天国」なんだよね。 
恐らくは「ご先祖が地獄に居るんならオラ改宗しね」とザビエルを論破しちゃった日本の農民みたいな人を納得させるためなんだろうが。 

余談だが、ザビエルはこの農民の疑問にどう対応したんだろう。「ご先祖が地獄に居るんなら自分も地獄に堕ちて再会したい」という日本人は少なからず存在したと思うが。

49: 世界@名無史さん 2015/04/22(水) 01:42:09.39 0.net
恩知らずと言えばトクタミシュ 

ティムールにキプチャクハン国のハンにして貰ったのに 
即位後はティムールを裏切り続けついには戦争まで引き起こした 

まあ結局首都サライを焼き討ちされキプチャクハン国は大いに没落することになったので 
報いを受けたと言えばそうなのだが

78: 世界@名無史さん 2015/05/19(火) 23:17:50.45 0.net
日本で申し訳ないが、豊臣秀吉。自分を引き立ててくれた織田の一族にあの仕打ち。 

スペインのフランコ将軍も、ナチスドイツにさんざん協力させておいてWWIIでは知らんぷり。

80: 世界@名無史さん 2015/05/20(水) 10:37:15.24 0.net
>>78 
フランコは無謀な伍長殿と違って賢明だったな。

81: 世界@名無史さん 2015/05/20(水) 21:34:42.70 0.net
>>78>>80 
スペイン内戦(1936-39)で荒れ果てた国の再建と共和派の残党狩りで 
第二次大戦に参戦する余裕などありませんがな。

82: 世界@名無史さん 2015/05/21(木) 15:29:51.68 0.net
それでも恩返し代わりにバルバロッサ作戦の時に青の旅団援軍に送ったな。

157: 世界@名無史さん 2015/08/30(日) 10:20:38.55 0.net
フリッツ・ハーバーに対するナチスの仕打ちは 
20世紀最大の忘恩行為だろうと思う。 

ユダヤ人のせいで第一次世界大戦が負けたという 
ヒトラーの思い込みに反して、ドイツの愛国的な 
ユダヤ人が居なければ、第一次世界大戦はもっと 
早くドイツの敗北に終わっていたというのが実情。


Fritz_Haber


フリッツ・ハーバー

フリッツ・ハーバー(1868年12月9日 - 1934年1月29日)は、ドイツ出身の物理化学者、電気化学者。空気中の窒素からアンモニアを合成するハーバー・ボッシュ法で知られる。第一次世界大戦時に塩素を始めとする各種毒ガス使用の指導的立場にあったことから「化学兵器の父」と呼ばれることもある。ユダヤ人であるが、洗礼を受けユダヤ教から改宗したプロテスタントである。

愛国的科学者として名声の絶頂にあったフリッツだが、1933年にその生涯は暗転した。ナチスが政権をとると、ユダヤ人の多かったカイザー・ヴィルヘルム協会への圧力が強まった。フリッツは、第一次大戦の従軍経験が考慮されたために自らが解雇されることはなかったが、研究員におけるユダヤ人の割合を減らすよう求められた。しかしフリッツは、この要求は受け入れなかった。

1933年4月、フリッツは、研究員を採用するにあたって今まで自分はずっと人種を基準にしたことはなかったし、その考えを65歳になった今になって変えることはできない、さらに、「あなたは、祖国ドイツに今日まで全生涯を捧げてきたという自負が、この辞職願を書かせているのだということを理解するだろう」と記した辞職願を教育大臣に提出した。